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目からウロコ「ヨコミネ式」子育て方法

ヨコミネ式の子育て方法を見て、目からうろこが落ちた。

ヨコミネ式とは、横峰さくらさんのおじさんである横峰吉文さんが、自ら設立した保育園で子供たちを育てながら考え出した教育方法だ。

 

テレビ「エチカの鏡」でとりあげられていたのは、横峰さんが行う夏合宿。

3~5才くらいの園児を、岩場の川にほうり投げたり、川の上を綱渡りさせたりして、大自然の厳しさを教えるというものだ。

 

横峰さんは、

「子供たちに、問題やトラブルをどんどん与えてやる。」

と、語る。

 

この川で学ぶことは、泳ぎ方・川で遊ぶ楽しさはもちろん、恐怖心に打ち勝つ心なのだと感じた。

 

最初は、川に飛び込むのを泣いて嫌がる子供もいるが、合宿が終わる頃には全員楽しそうに川で遊んでいる。

初めは、ライフジャケットを着ていたのに、最後には、ライフジャケットも脱いで川に飛び込む。

恐怖の場所が、楽しい遊び場所になってしまうのだ。

 

横峰さんが設立した保育園の園児たちは、みんな逆立ちで歩けたり、10段もの跳び箱を軽々ととべたりする。

そして、絶対音感を身につけていて、小鳥が鳴く音の音階がわかったり、ピンクレディの曲を楽譜も見ずに弾けたりする。

文字も読んだり書いたりでき、本を何千冊も読んでいる。

 

横峰さんは、

「子供は、みんな天才なんですよ。」

と言うが、実際に見せられると衝撃的だ。

 

私は、英才教育といわれるものに興味がなかったが、

もし、自分が3才に戻って保育園を選べるなら、この保育園に行ってみたいと思った。

 

この保育園にいくと楽しそうなのだ。

ワクワクしそうなのだ。

いろんな怖いこと(川に飛び込むとか)をやらされそうだが、出来るようになった自分に出会ってみたい。

 

横峰さんは、

「体操なんて退屈でしょ?」

と、一般の保育園でされているような体操はやらないと言う。

 

うん、確かに幼稚園や小学校でやる体操なんて退屈だった。

 

横峰さんは、

「子供はちょっと難しいことが好き。」

とも。

 

子供だけじゃない、大人(私)だってちょっと難しいことが好きだ。

毎日、簡単な同じことの繰り返しだったらやる気がしない。

 

ヨコミネ式保育園では、3才でも自学自習。

「あいうえお」から覚えていくのではなく、

漢字の「一」から徐々に難しくなっていく文字を、毎日書いて覚えるのだ。

「一」の次は、「1」、その次は、「十」「二」「エ」「ノ」という具合に。

ポイントは、少しずつ難しい文字を教えることらしい。

子供たちは、図工をやる感覚で文字を書いて、自然に文字を覚えていくようだ。

 

なるほど、いきなり難しいことをやらされると、挫折する子供も出るだろうが、

ほんの少しだけ昨日より難しいことをするなら、誰でもできそうだ。

ヨコミネ式のすごいところは、「全員が」できるようになるやり方で、しかも

「楽しみながら」やっているところだ。

 

このヨコミネ式を良いと思う理由は、体力のある人間に育ちそうだというところ。

そして、自分の頭で考えられる人間になりそうだというところ。

自分の頭で考えるといっても、頭でっかちにならずに、

実体験にもとづいて、なおかつ知識も豊富に取り入れた上で判断できる人間。

芸術などこの世の美しさ、楽しさを味わえる人間。

もしくは、新しい芸術(音楽)や技術などを生み出せる人間。

自分の好きなこと、やりたいことを仕事にできる人間。

そんな人間になれそうだというところだ。

 

しかし、自分の子供が「天才」に育ったとして、気になることがないわけではない。

「人を思いやる心」が育つかどうかだ。

 

もし、このヨコミネ式保育園で、育って普通の社会に出たとしたら、

きっと、なんでも人より優れてできるだろう。

そうしたら「人を見下す人」にならないかどうかだ。

「人をバカにする人」に育たないかどうかだ。

 

横峰さんは、言っていた。

「大人の考える相手を負かすための競争ではない。

友達と共に能力を高めあう。」

のだと。

 

ヨコミネ式のかけっこでは、3才、4才、5才を一緒に走らせる。

それぞれ、ハンデをつけて。

3才だって、逃げれば勝てることもある。

5才だって全力で走らなければ、負けることもある。

そんな、誰もが勝てる、誰もが負けることができる場を作っているそうだ。

このことにも感動した。

 

「誰もが全力で走らなければ負ける」状況を作っているということは、結局、「最大の敵は自分」ということか。

人間どうしてもラクがしたいもの。

相手が弱いと、力を抜いてしまう。

幼少期から、毎日、自分の力を最大限使わなければいけない環境があったら、きっと大人になっても、物事に全力で取り組む大人になれるだろう。

 

なんだか、自分の今の力の出し方まで反省してしまう。

自分が今やっていること「仕事」「子育て」「家事」「人間関係」…、全て全力か?

いや、全力じゃない。

この保育園の園児のように、川に飛び込むような「恐怖」に打ち勝とうとしているか…?

 

子育ては、自分育てといわれるけれど、本当にそうだ。

自分にもあるいろいろな恐怖に向かって飛び込んでみようという気になった。

 

さっき書いた、「人を思いやる心」の問題。

かけっこ等で「誰もが負ける」状況があるなら、

負けた人の悔しさもわかるということだから、その結果「負けた人をいたわる心」も育つかもしれない。

 

岩場の川へ飛び込む場面で、なかなか飛び込めない男の子をみんなで応援している場面があった。

そんな「友達と共に能力を高めあう」場を与えてやれば、「人をバカにする心」は育たないかもしれない。

 

「負ける人がかわいそうだから、負けると悔しいから競争はやらない。」というのは、「負けることへの恐怖」に負けたということなのかもしれない。

負ける前に「負けることへの恐怖」に負けているなんて、とてももったいないことだ。

 

かけっこをやれば、勝つ楽しさがあるし、

川に飛び込んだら、実際、とても楽しい。

 

恐怖の先には、とてもいいことが待っているのだ。

 

自分の子供を天才に育てたいかどうか?

答えは、NOだ。

別に天才でなくてもいい。

でも、我が子の能力を最大限出してあげたい。

そうしたら、子供も幸せに生きられるような気がするから。

 

このヨコミネ式を家庭で実践するとなると、結構大変だけれど、

子育てに悩む親には、すごいヒントになる教育方法だ。

 

横峰さんの言う

「子供たちに、問題やトラブルをどんどん与えてやる。」

ことは、とてもいいことだと思うけど、実際は、逆のことをやってしまっている。

子供に問題やトラブルなんかを与えたら、泣いたりぐずったりして、親は面倒くさいじゃないか。

 

我が子が赤ちゃんの頃から、私がやってしまっていた、

「なるべく泣かないようにぐずらないように、あらかじめ問題を取り除いておく。」

ことが、子供の成長を妨げていたということだ。

親がラクするために、子供の成長のチャンスを逃していたということだ。

 

横峰さんは、

「男の子は3才になったら、だっこしない。」

なんて言っていた。

 

ヨコミネ式を全てうのみにするつもりはないが、実際、3才くらいになると、だっこしなくても自分の心をコントロールできる年になっているということかもしれない。

うちの子は、3才でまだ、「だっこ~」とねだるが、大したことがないのに言ってることが多い。

ちょっとひざをすりむいたくらいで泣いて、「だっこ~。」と言うのが、その例だ。

強い男に育てたいなら、自分で感情をコントロールさせる(だっこしない)ことが大事なのかもしれない。

 

ヨコミネ式、なかなかできそうにないが、

それが子供のすこやかな成長につながるなら、ちょっと頑張ってみようかな。

 

横峰吉文さんの著書「天才は、10歳までにつくられる」も、おすすめ。

子育てに日々奮闘している方のヒントに!

 

2009.08.10 旧ホワイトミントより